MSAの世界の探求を長年行ったが、結論、一番長くいたところに戻ってきた。

MSAの世界の探求を長年行ったが、結論、一番長くいたところに戻ってきた。

 

結論から言いますと、MSAについての資金、つまり、日米償還金の財源は、どこから本当は来たのか?その答えは、中国王朝ということになります。

 

今、日本と中国の関係についていろいろ言う人がいますが、その中で、日本の経済発展の財源の基礎になったのは、天皇の資産と言われていますが、それは、もともと中国王朝から来たものであると言えるのです。明治初期は、明治新政府は資産がなく苦しんでいました。そして、日本が急激に豊かになったのは、日清戦争以降、つまり、日本が清朝からの賠償金を下関条約で締結してからと言えます。

 

下関条約の際の賠償金

 

賠償金のテール(両)は、1テール=庫平銀37.3gで2億両(746万kg相当)の払いだった。2億テールは日本円に換算すると約3億1,100万円に相当した[7]

 

つまり、この財源がきっかけになり、そこから、日本が満州国の建国に向けて、様々な工作をおこなったといえるのです。中華民国中華人民共和国として建国していったわけですが、先日のブログでも、これらは、すべて中国を支援したのは、日本人であるといえるのです。その結果、少数民族系の中国王朝から漢民族の徳利国家(民主化)をさせることにしました。その背後にはすべて、日本の関与があったことは、近代史を勉強している人なら理解できます。

 

つまり、中国王朝の資産というものが、実は日本を発展させ、実は、先の戦争と関係があったと言えるのです。

 

中国王朝の資産がバックアップして、日本の近代化が促進されたともいえるのです。この事実については、歴史に隠されて語られることがないのですが、日清戦争下関条約の賠償金の資金の活用方法については、インターネット上でも情報を見ることができます。

 

実は、筆者は、長年、中国との関わりがあります。東京の某国立大学をでた後に、中国上海の大学に留学をして、上海で事業を創業して、現在も、中国と香港、東京で会社経営をおこなっています。中国ビジネスに関する研究もしており、中国の最高学府である北京大学エグゼグティMBAで講師として教鞭をとったことがあり、実は、中国の歴史についても、相当関心あり、中国に15年近く滞在しておりましたので、中国全土、回りました。

 

よって、中国の歴史という世界をいえば、中国に色々訪問したことがありますので、肌感覚として、中国の各地の歴史を見てきたことが言えます。

 

実は、あまり、このような話を信じていなかったのですが、今から20年以上までに中国の某国家主席の親族から、「日本には、特別な予算があるからね。」ということを、言われたことがありました。それ以上はよくわかりませんでしたが、その後も、その後の国家主席に親族から、日本と中国とで行うことがある。ということを話しているのです。つまり、日本にある多くの担保資産が中国王朝からの流れであるということが関係していて、やはり、協力できる体制も必要だという意味かもしれません。

 

実は、最近、いろいろ調べていくと、結局、中国王朝が、ほとんど、この世界の資産を持っていた。ということが理解できました。

 

つまり、日本も、米国も、通貨システムを作ることが出来た裏付け資産というものは中国王朝の資産が大部分であると言えるのです。

 

この事実について、日本の多くの人は、そんな話があるのか?と驚くと思いますが、実は、そんな世界の話です。

 

ここで、理解してもらわなければいけないのが、中国といっても、中華人民共和国中共をイメージする人が多いですが、中華人民共和国の建国は、1949年ですから、まだ、新しい国家ということになります。中国王朝の歴史というのは、歴史的には、紀元前5000年以上前に遡り、歴史的に言えば、夏という国家が中国王朝のはじめの王朝といわれています。これは、歴史的に言い伝えられていますが、その存在については、詳しくわかりませんが、いずれにしろ、中国王朝には、7000年以上の歴史が存在していることは、知られています。よって、中国王朝と中共とは、違うということは理解する必要があります。

 

つまり、これらの資産は、中国王朝の末裔によって、管理されている資産ということになるのです。そのことを知ると、驚く事が多いのですが、わかってしまえば、そういうことか?やっと、腑に落ちる世界があります。

 

これは、八咫烏の仕事であるということを言った人がいますが、八咫烏は、陰陽師の世界ということになります。つまり、その世界は、中国にもにた世界が存在しており、霊幻道士で有名な「道教」の世界と言えます。つまり、この世界と、日本の神道の世界でいうところの陰陽師の世界とにている部分があり、実はそのような世界の共通点の中で歴史が作られてきたとも言えます。

 

いずれにしろ、この世界を探求して、欧州や、米国などの制度を調べに調べましたが、結論として、一番長く関わった中国に話が戻ってきました。なにか縁を感じます。

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