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NGO 国際経済開発機構について
1951年にサンフランシスコ講和条約に調印後、日米安全保障条約が結ばれました。現在における日本における安全保障と国際貢献事業は、日米共同により行われています。
日米両政府の協力体制によって行われている国際貢献事業以外でも、民間活動として非政府組織として国際開発事業を展開するためにNGO日米経済開発機構が設立しました。
国内外政府機関や国内外民間経済援助機関などと協力して、日本が世界に経済援助をすることで貢献できる事業を展開していきます。
NGO 国際経済開発機構(IEDO)の設立のきっかけについて
NGO 国際経済開発機構(IEDO)を設立するにあたり、戦後の日本史について随分研究しました。日本の経済発展は、米国主導の日米共同体の援助によって大きく成長を遂げてきたことになります。
一般的には、あまり知られるところではありませんが、その事実に対して、正面から向き合い、これからの日本のあり方を考える必要があると思い、NGO国際経済開発機構(IEDO)を設立しました。これは、非政府組織である民間による日米共同体による民間経済援助政策を活用して、国内外の経済問題に対応することを前提で活動していきます。
1951年サンフランシスコ講和条約により国土復帰をしたことで、そのときから米国主導である日米共同体による経済援助がスタートしています。そのことは、戦争という時代背景もあったことで、表で話されることなく、経済援助政策がおこなわれてきました。
今年は、2021年になります。ちょうど70周年というメモリアルイヤーということになるのですが、多くの日本国民はその事実を知ることなく生活をしています。
戦後日本というものは、一体何だったのか?日米共同体による日本の経済援助政策とは?そして、日本がこれからおこなわなければならない国内外への社会的経済的貢献とはなにをするべきかを真剣に考え、日米共同体による民間援助政策を活用して、非政府組織として私達が何を貢献できるか考えていくべきだと思いNGO国際経済開発機構(IEDO)を設立しました。
これを設立しようとおもったきっかけは、スリランカの大統領側近で経済顧問をしている方からの連絡からです。「スリランカでは、日本のODAを使って都市間交通の鉄道を建設したいと考えていましたが、実際に資金がなかなか来ることなく建設が遅れています。そのために、中国から支援に頼らなければ何も建設が進むことがありません。スリランカ人としては、日本の鉄道システムを導入したく思っていました。しかし、遅すぎます。」という連絡でした。その連絡が入り、数週間後、スリランカ政府は、日本のODAの援助を断り、中国と都市交通システムの投資を受け入れました。
サンフランシスコ講和条約で、日本に対して避難することなく、賠償責任を問うことは良くないことだという演説をしたスリランカ大統領の名演説がきっかけで、日本への戦争への賠償責任を各国代表が放棄することに同意しました。
日米共同体による経済支援策は、「アジア復興財源」とかつて言われ、日本が周辺国への経済支援を積極的におこなってきました。現在いおいては、その勢いがなくなっています。その最大の原因は、日米共同体による民間援助政策について理解されていないことが原因して財源確保が思うように進んでいないと言えます。
日本には、世界を支援するための民間財源は十分あります。よって、日米共同体による経済援助政策を最大限に活用をして国内外の経済問題に対応する民間事業を展開します。
2021年6月吉日
NGO 国際経済開発機構(IEDO)