このように考えたら、面白い歴史がある。ただ、全く根拠のない歴史観です。
このように考えたら、面白い歴史がある。ただ、全く根拠のない歴史観です。
結論から言えば、MSAなど言われている資産は、本来は、多くは中国王朝資産が含まれていることについて説明しましたが、実は、この歴史をたどっていくと、神武天皇と徐福伝説につながるのではないかと思っています、そのへんの歴史については、明確なものがありませんが、中国の道教と日本の神道の世界にあるつまり、霊の世界、霊界の世界というものがあります。つまり、黄泉の国と言われる世界に通じる話になりますが、ある意味、見えない世界や、超能力の世界と言われる世界について、色々秘技があるとされています。(陰陽師の世界)
このことなどを考えていくと、中国の初代皇帝である「始皇帝」がいましたが、始皇帝は、山東省の泰山で皇帝の即位式を行ったということです。実は、筆者も始皇帝については、関心があり、かなり研究して始皇帝に所以のある土地はずいぶん周りました。
山東省にある泰山には何度も行って、登った記憶があります。
さて、始皇帝は、不老不死の薬が、蓬莱山にあるということを聞いて、その話を、徐福と言われる始皇帝の使者が、日本にその不老不死が薬草があり、行けば手に入るということを話し、徐福が、始皇帝に許しを得て、日本にわたった話は知られています。その際に、3000人の若い男女を連れて、日本にわたったという歴史があります。今の山東省のあたりから、船でわたったと言われています。その後、日本の九州にたどり着き、日本全国を探し回ったということで、徐福伝説が日本全国にあります。
徐福伝説と、日本の神武天皇は、似た移動をしているので実は、同一人部であるのか?などとも噂がありますが、その部分は、一応、歴史的には否定されています。
ただ、個人的な感覚でいえば、徐福が、日本にわたったという話は、実は、始皇帝が自ら、徐福になりすまして、日本に行って、それが、実は神武天皇になったのではないかと考えると、なんとなく納得ができるのです。
あの時代は、身なりなど知りません。皇帝であったとしても、写真もありませんから、本人は、どんな人かは、殆ど知らないでしょう。
徐福は、江蘇省の北部の出身ということで、似顔絵が残っていますが、その人物がその顔であった保証はないわけです。始皇帝は、一代で終わったことや、かなりの横暴な政策をしたので、息子が引き継ぐことが出来ず、一代で終わったのですが、いずれにしろ、個人的なロマンある歴史であれば、始皇帝は、徐福になりすまし、実は、神武天皇になったのではないかとおもっています。天皇というのは、皇帝という概念は、始皇帝が考えた世界ですから、これは、実は、中国の北極信仰の一種で、北辰の世界といえるのです。
そのために、太陽神である日本の神々とは、少し違う感じがするのです。
天皇は、世界的にはエンペラー(皇帝)と言われていますが、中国でも、王朝は、もともとエンペラーです。北極信仰になり、太陽ではないのです。
日本の天皇家は、太陽神ですが、日本に来てから天照大神にあってから、太陽神に信仰を変えたのか?しかし、もともと北極星信仰である北辰であったことが皇帝だとすると、それがどうなったのか?など、適当なことを考えていますが、これ、謎です。
ただ、朝鮮半島からの流れを組む、高句麗の軍旗は、八咫烏ですから、太陽神の化身ということになります。
神武天皇が、熊野を目指し、紀の国の山で迷ったときに、八咫烏(太陽神の化身)が迎えに来て、熊野大社にいる天照大神(太陽神)に合うことができ、そこで、天皇になったということですから、面白く考えたら、秦の始皇帝は、徐福になりすまし、日本にわたり、その後、日本のトップに会いたいと思って、天照大御神に熊野大社に向かい、そこで、太陽神にあったことで、日本では太陽神でなければ、国の統治が出来ないおもって、太陽神信仰に変えて、その後、天皇家は太陽神信仰にかわったという勝手な仮説を考えました。
中国の始皇帝は、皇帝になるといっても、山東省の泰山で、自分で思いついた儀式をして「おれは、皇帝になった」と宣言しただけです。始皇帝の前には、皇帝はいないわけです。彼は、北極信仰にしたわけですが、日本に行くと、どうも北極信仰では、夜道は照らせないということで、暗いのは困るということで、太陽神にするかということで、変えたのか?とと思うと、この歴史が面白くなります、
まったく根拠のない話ですが、個人的には、なんども、中国の泰山に登って感覚的に雰囲気を感じてきました。確かに、岩山でパワースポットですが、ただ、中国的には北極信仰は、中国的には、良いのかもしれませんが、日本の天の神が、太陽神であるので、太陽神が良いということで、そうなったのかなと思っています。
この話は、勝手なパロディーですから、なにも根拠がありません。たぶん、そんなこと言ったら、歴史研究家に怒られそうですが・・・