生きるために何をするか

こんにちは

今日から始めてブログを書くことになります。桐生書房 と申します。

私は 桐生 書房の代表である 桐生 弦泊です。歴史的に何も実績もない今立ち上げたばかりの書房ということになります。

 

もともとは 貿易業界や金融業界で仕事をしておりましたが 自身が体調を壊し 結論として 糖尿病悪化させたことにより現在は腎不全とし透析を受ける 耳になっています。

 

そのために 激しい 仕事はできないということもあり 桐生書房を立ち上げ 自身が感じている世界を文章化して情報を発信してみようと考えたわけです。

 

腎臓病になって初めて分かったこと というのはこの閉鎖的な医療業界の中で透析という素晴らしい技術はあるものの それ以外の治療法に関しては完全に NG の世界を感じています。

 

腎臓の問題に関して言えば 移植をするという手段はあるのですがこれは非常に難しい仕組みになっており 親族からもらう 離職は良いか 他人からもらう 問題だというふうになっているわけです。

 

特に日本国内では親族以外からの移植をすることは 完全に 違法 扱いとなっており海外でもし移植を受けて帰ってきたような患者は受け入れてはいけないという風な医療業界の風潮になっているようです。

 

このことに関しては トルコのイスタンブール 宣言というものが関係しているようでイスタンブル 宣言同意している国は移植に関しては厳しいルールを設けています。

 

日本も イスタンブル 宣言に同意している国ということで 医療業界は 親族以外の離職はだめだという風にしています。

 

それでは日本では移植を待っていれば順番が回ってくるのかと言うと 親族以外のドナーがいない場合 これは最低 15年以上を待たなければ 回ってこないということですから 実際のことを言うと 腎不全になりその人の生命を考えると生きている間に 腎臓移植ができる可能性は非常に低いということになるわけです。

 

 

つまりこのことは 透析という手段で延命は することはできるが 親族からの移植ができないということは これは離職ができないので死ぬのを待てということを言っているのとあんまり変わらないという事実があるわけです。

 

つまり その人にとっての人生に 死刑執行を言われているようなもので ただ単に その期限が いつが来るのかを待っているようなもので延命処置をしているのが まさに透析における生命維持 ということになるのでしょう。

 

自身がそのような状況に陥った時に初めて分かったのはあと何年生きるのか分かりませんが まさに死ぬ日を待つような死刑執行の気持ちがわかるような感じがします。

 

そのようなことを論じていてもしょうがないので新しい未来について考える必要があるわけです。

 

つまり 移植 ということをいかにどのようにして実現するかということが大きな課題ということになるわけです。

 

日々ブログを更新していく予定ですから徐々に 読者も増えていくと思いますか 日本全国には何十万人という人が腎臓病で苦しみ いつか 移植ができないかということを待っている人は多いと思います。

 

 

確かに 海外での移植という手段はありますか これは非常に難しい仕組みになっていますので 正直 命がけ と言えるでしょう。

 

西側諸国での移植というのは国によっては 友人間の移植というのが認められているところはあるのですが 費用が非常に高いということもあり 理想的ではありますが なかなか 海外で実現するのは難しいと言うんでしょう。

 

インターネットなどを見ていると移植コーディネーターと呼ばれている職業の方がいてそのような人たちが 臓器移植のコーディネートを行っているようですが ここは気をつけなければいけないのは 真実と真実じゃないような話も多いようですから 騙されたら大変です。

 

このような問題もあるようです。

いずれにしろ 腎不全になっているということは これは完全に透析による延命治療が行っていますが もうすでに死刑執行になっているのと同じようなものですから その問題を回避するにはやはり 命がけで何かをしなければいけないということになるのでしょう。

 

つまり そのようなことを考えているのが現在における日々の生活だと言えるわけです。

 

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