こんにちは
桐生書房です。
このブログのテーマは海外における腎臓移植を行う場合には ということをテーマに書いておりますのでどうしても腎臓移植が話の中心となっていくわけですが 筆者にとっても現在自身が腎不全によって透析を受けている身分であり 次なる治療の手段というのは腎臓移植 以外は方法はないというのが現状です。
新しい治療方法で豚で育成した腎臓を人に移植するという方法が 今 海外 などで行われたりしていますが これはさすがに 動物から作った腎臓を人間に入れるというのはどうしても抵抗というものがあります。
医療業界では革新的な治療方法だという風なことを言っているようですが 実際になすすべがない 腎不全の患者から見れば それは一つの手段 かもしれませんが 歓迎するべき 本当の内容かと言うと 実は疑問があります。
人間 間の移植をする場合には 臓器売買などの問題があるために日本の場合は 親族間の移植はできますが 他人との移植はできないというルールになっています。
米国などのルールを見ると 友人間の移植は認められていますが その場合はその友人が無償で提供しているということを証明しなければいけないということになっているようです。
臓器を売買するということを行うのはこれは イスタンブール宣言というものがあり そこに同意している国は 臓器売買に関する可能性があることは全て排除しなければいけないという風なルールになっているようです。
当然 日本も イスタンブル 宣言に同意しており日本の場合は当然 親族との間の移植はできますが それ以外の移植はできません。
親族に移植を行ってくれる ドナーがいる場合は いいのですか 親族 もなかなか難しいですから ドナーがいない場合は これは 移植をするということで登録をして順番が来るのを待たなければいけないということですが これも実際の話を言うと 登録にはしに行きましたが 15年は最低かかるということを言っていますので ただ単に 登録 組織の登録料 毎年支払うだけで 結局は何もいるものがないというのが現状でしょ たまたま 順番が15年後や 20年後に回ってきてその人が元気に生きていれば問題はないのですが 透析も長い間すれば生きていない可能性も高いので 登録料 払い損という可能性が多いというのが 実際の日本の移植に関する登録であると言えるでしょう。
とは言っても 手段はないので登録をする以外は方法はないのですが 後は ルール破り というのか 海外に無理やり 移植に行く という方法はありますが これは日本の医療業界ではタブーという話になっているので ルールを破っていくというような概念を持ってやらなければできないというのが現状でしょう。
確かに 人の生命というものは自分の人生ですから 自分自身で決めるものだと思いますが医療業界の倫理という世界では色々と難しい世界があるというのが理解はできますが 難病になってしまった患者から見れば そんなルールよりも どうやれば助かるのか どうやれば少しでも良い結果になるのかというのを求めるのが人の心理であります。
そのために 海外移植のブローカーというものが存在していると言えるのでしょうが確かにそのような人たちは 情報は持っているのかもしれませんが 危険性も高いというのも 言えます。
そのためにどのようにすれば安全に海外で腎臓移植ができるのかということが非常に重要な課題と言えるでしょう。
イスタンブール宣言などがなかった時代はそこまで 腎臓移植に対して世界は厳しい目を向けていなかったというのは言えるのですが 臓器売買 というものが大きく クローズアップされ 貧困が臓器売買の原因になっているということを言われるようになり その結果 貧困な国からの臓器移植ということを非常に避難する傾向が高まっていると言えます。
つまり 経済を理由に臓器を売買するというような傾向が過去からあったという事実があり そのようなことを規制する また そのようなことを取り締まりするという流れが世界的な風潮になっているからです。
つまり 腎臓病になってしまい 腎不全になった人は普通に考えれば 医学 業界の考え方やまた イスタンブール宣言や世界の情勢などを見ると腎臓移植に関しては 八方塞がりのような世界を作っているのですが そこは100% 塞がっているのかと言うとそうでもないようですが そうなると結局は アングラ の世界という風に なり ブローカーの話になってしまうわけです。
その中で 正しい情報を得るにはどうすれば良いかというのは これは運が重要になるのかというのが言えるのだと思います。
いずれにしろ この問題に対して黙っていても仕方もありませんし 何か情報発信 することによって新しい何かを掴むかも分かりませんので ブログで好きなことを書いています。