海外における腎移植に関しては アングラ のギリギリの世界かもしれない。

桐生書房です。

海外 腎臓移植について考える会として このブログを書いておりますが 海外で腎臓移植をする場合の様々なリスクなどを考えると 日本から海外に行って腎臓移植をするというのは非常に難しいと感じる次第です。

 

インターネットなどを調べて 海外の腎臓移植の状況について情報を調べていますまた そのような関係するような人たちからもう情報を仕入れるために話を聞いたりもしました。

 

ただ言えることは 安全に確実に100%できるというような話はまず存在しないと言えます。

 

ただ言えることは 情報はどこまで 正しいかは分かりませんが100% 不可能ではない話であるということは言えるようですが可能であったとしても色々と 障壁が出てくると言えるわけです。

 

例えば 腎臓移植を海外の病院で行いました と言うと 今度は日本に帰ってきた後に誰が面倒見るのかと言うと日本の医者は海外で移植してきた患者に対しては面倒は見ないような風潮になっています。

 

腎臓移植 などをすると移植後の投薬というものがあります。

つまり 移植後に行う 投薬についての調整などができなくなると 今度は 過剰反応などが出た場合 非常に 病状が悪化する可能性もありますので 常に 医者と情報交換し 投薬について調整できるようになっておかなければいけないということが言えるわけです。

 

当然 海外で移植すると移植後 帰国するということになると帰国後の病院をどうするかという課題があります。

 

当然 医師との疎通ともありますし 海外で移植を受けてきた患者に対する対応というところでどのような方が対応してくれるのか また どの程度まで 親身になって考えてくれるのか などを考えていくと 非常にリスクが高いと感じるわけです。

 

リスクが高いからと言って 何もしないと言うと手段は 透析以外 方法はないわけですから ひたすら透析を行って延命処置を取るという必要性があります。

 

 

確かに今 透析の技術は高まっており 透析をしたからと言ってすぐに死ぬようなことはないということになっていますが透析をしていると非常に時間的制約 やまた長時間の透析に耐えなければいけない という問題もありますので やはり 理想的なのは 移植を行って腎臓を少しでも健康な状態を取り戻すということが重要になります。

 

腎移植を行うことによって15年から20年は寿命が延びるとも言われておりますし 透析での寿命よりも やはり 腎臓があった方が生命の維持が良いと言えるわけです。

 

つまり 生きるためにはどうするかという課題に立つとこれはいろいろな問題はあったとしても重要なのは腎臓が移植ができるということが大切になります。

 

ただ 日本国内で親族がドナーとなってくれない場合は 日本国内で移植の順番を待つのは15年から20年もかかるということになれば 物理的に不可能ということになりますのでそうなれば 海外に目を向ける 以外 方法がなくなるわけです。

 

海外に移植を目を向けると イスタンブール宣言などがあり 海外移植に対して非常に難しい問題点などがありますが そのような問題点をクリアできる法律が国によっては存在しています。

 

コスト面でも保険がきく話ではないので大きなコストをかけて 海外移植をするということにはなるのですが 人生をかけた健康を取り戻すということを考えれば すでに腎不全になり自分自身の腎臓が復活する兆しが考えられないとなれば 最終手段としては 海外での移植ということを実行する 以外 方法がなくなるというのが言えます。

 

ただ海外で移植をするということを言うと 日本ではそのようなことを言うことは タブーな話であり 良くないような風潮があるようですが 実際に腎不全の患者から見た時に この問題をどのようにしてクリアするのかというのは最終的には自己責任ということで行う 以外 方法はありません。

 

つまり 自分の生命に対して自分でどのようにするのか 確かに国の法律などは存在します しルールも存在します ただ自分の生命を守るということに関しては これは国のルールというだけを見ていると自分自身の人生を守れません。

 

 

そうなった時にどのような方法が自分にとって素晴らしい人生なのか つまり 自分が生きていく上で 何が大切なのか そして生きていく上でどのような選択が重要なのかということを自分自身の決断によって行わなければいけないということになるわけです。

 

やはり 人生というものは 選択というものは自分の中で何度も選ばなければいけない時というのが存在しますが この 腎不全 という問題の選択というのは 生命という つまり 命をかけた選択ということになりますので 非常に悩むわけですがこの問題に関しては結構 法律的に見ると 世界は八方塞がりになるようなルールを決めているわけですから その中で 生命をかけた勝負をするというのは結構厳しいものがあります。

 

とはいえ 諦めてられないので 常に情報を探すために世界中から情報を集めようとしているわけですが 調べれば調べるほど 内容はよくわかってきたのですが最終的には表の世界及びアングラ の世界という中間を行かなければいけないような世界であると言えるのです。

 

つまり この世界は非常に難しい世界であるということは認識できてきます。

  • Related Posts

    なぜ、タブーの世界にブローカーが存在できるのか?

    桐生書房です。 長年大都会で生活をして、感じていることは、ど…

    海外 臓器移植の世界も売春の世界も 第三者の管理ということを禁止している

    桐生書房です。 このブログでは世の中のタブーに焦点を当てて …